大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪地方裁判所 昭和30年(ヨ)2514号 判決 1957年4月12日

申請人 若松秀

被申請人 田中運送株式会社

主文

被申請人は申請人をその従業員として取扱い、且つ申請人に対し金拾万円を支払わねばならない。

申請人のその余の申請はこれを却下する。

訴訟費用は被申請人の負担とする。

(注、無保証)

事実

第一、申請人の主張

申請人は主文第一項前段と同旨及び「被申請人は申請人に対し昭和三十年六月以降一ケ月金一万二千円の割合による金員を支払わなければならない」との判決を求め、その理由として次のとおり述べた。

一、申請人は昭和二十九年二月一日被申請会社(以下単に会社という)に入社し、爾来日給四百円月手当二千円毎月末日その月分の支払いをうける約定で勤務していたところ、同年十二月二日業務怠慢を理由に解雇する旨の通告をうけた。そこで申請人はこれを不当解雇であるとして同月十日頃大阪地方労働委員会に救済の申立をしたが、翌三十年三月二十八日同委員会の小野木公益委員の斡旋によつて申請人と会社との間に協定書(甲第一号証)が作成されて非公式和解が成立し、会社は前記解雇の意思表示を取消したので、申請人も右申立を取下げた。

二、従つて申請人は会社従業員としての地位を失つたことなく引続きこれを保有するものである。もつとも右協定書には以上の解雇取消(第一項前段)のほか、申請人は同日付を以て使用者会社を円満退職する(同項後段)、使用者は本件解決後早急に申請人を再雇用する(第三項)との記載があるが、これは会社側において申請人が職場え復帰するまでに或程度の冷却期間を設ける必要があつたこと、及び前記解雇通告後協定書成立までの申請人の賃金を三万円と協定し、これを協定書第二項により昭和三十一年五月末日までに分割支払うこととしたところから、その支払完了までは申請人が職場で事実上就労しないことを双方了解の上便宜このような表現方法をとつたものにすぎない。即ち円満退職再雇用とはいうものの真実退職したのでなく従つて退職金も受領していないのである。

三、仮りに右主張が認められず申請人は前記協定書第一項後段により会社を退職したものであり、同第二項記載の三万円が申請人の賃金でなかつたとしても、右協定書の意とするところは会社は申請人を再雇用するが唯その時期としては前述のように会社側の事情からして冷却期間を設ける必要があつたので三万円の分割支払が終つたら直ちに復職させるということなのであつて、右三万円も解雇通告後申請人の復職迄の期間を大体六ケ月と想定し、その間の申請人の生活維持に必要なものとして失業手当を斟酌の上申請人の従前の実質賃金を保障する趣旨の下に算出されたものである。再雇用の条件としては、従前と同程度の労働条件で原職に復帰させるということにほかならない。従つて申請人は少くとも昭和三十年六月一日以降は当然に会社の従業員たる地位を取得するものである。

四、以上いずれにしても申請人は会社従業員たるの地位を有するに抱らず、会社は案に相違して申請人の復職を拒絶し賃金の支払もしない。

申請人は賃金のみを以て生計の資とするもので父母妹を擁し、申請人を除く一家の収入としては父の日雇労働による日収二百二十円実働月十七、八日、妹の秋山ゴム株式会社勤務による月収約六千円を有するのみで、申請人の失業保険も昭和三十年七月で終了したため、やむなく一時糊口をしのぐため他に就労しているものの、このままの状態で本案判決の確定をまつ時は回復し難い損害を蒙るから、とりあえず本件申請に及ぶ次第である。

第二、被申請人の答弁

被申請人は「申請人の申請を却下する」旨の判決を求め、次のとおり答弁した。

一、申請人主張一記載の事実は申請人の手当の点を除きすべて認める。右手当は残業に応じ一定していない。

二、申請人は右協定書第一項後段により会社を円満退職し完全に従業員たるの身分を喪失したものである。

即ち右協定書は会社の申請人に対する解雇の意思表示の効力についての当事者間の争いを解決することにその目的があつたのであるから、「会社は申請人に対する昭和二十九年十二月二日付解雇を取消し、申請人は同日付を以て円満退職する」こととし、爾後右解雇の意思表示の効力につき云為しないことにした第一項に協定書の主眼があることはいうまでもない。そしてそこにいう退職の日が昭和二十九年十二月二日を指すことは同条項の文理解釈上明白であるから、協定書第二項記載の三万円も申請人主張のように解雇通告後の賃金である筈はなく、右紛争解決に伴う所謂解決金であつて、申請人が他に退職金その他何らの金銭的要求をしないとの趣旨のもとに支払われるものである。従つて協定書第三項の「本件解決後早急に再雇用する」というのも、右第一項による紛争解決の条件として第二項を定めたもののそれだけでは余り素気ないため単に味つけとして附加されたもので、再雇用並びにその労働条件については改めて双方が協議するという程度の意味であり、その時期も必ずしも協定書第二項の金員支払完了時を指すのではない。

そして会社は右協定を履行し金員支払を了したのであるが、申請人側からは唯一度その代理人と称する者が脅迫的言辞をもつて就労方を要求してきたのと、申請人代理人加藤充弁護士から一方的な就労催告があつたばかりで、いまだ再雇用についての何らの協議もなされていないのは勿論、申請人は従前荷扱手として会社に勤務していた当時から怠惰粗暴でその復職には会社従業員の大多数が反対している上、前記協定成立後も失職を理由に失業手当を受領する一方、昭和貨物運輸株式会社、千代美産業株式会社に順次就職し、運転手として会社勤務当時を上廻る賃金を取得しているのであるから、前記申入れも真実真面目に会社に就労する意図なく単に会社業務を攪乱し主義の宣伝をはかる等他の目的に出たものとしか思えないのである。

以上の次第で申請人はいまだ会社従業員としての地位を有しないからこれあることを前提とする本件申請はその理由がない。

三、のみならず現在申請人の父母は金貸しを業として高利を貧り、又申請人自身も前述のように従前会社に勤務していた当時よりも好条件で他に就労勤務しているのであるから仮処分の必要性がない。

第三、疏明関係<省略>

理由

一、申請人が昭和二十九年二月一日会社に入社し日給四百円を支給されていたところ、同年十二月二日業務怠慢を理由に解雇通告をうけ、同月十日頃大阪地方労働委員会に不当労働行為救済の申立をしたこと、昭和三十年三月二十八日同委員会の小野木常公益委員の斡旋により申請人と会社との間に協定書(甲第一号証)が作成されて非公式和解が成立したことは、当時者間に争いなく、成立に争いのない甲第一号証によれば、右協定は一、使用者(会社を指す)は昭和二十九年十二月二日付を以てなした申立人(申請人を指す)の解雇を取消し、申立人は同日付を以て使用者会社を円満退職すること、二、使用者は申立人に対し金三万円を次の条件の下に支払うこと、(イ)昭和三十年三月三十一日金二万円、(ロ)同年四月三十日金五千円、(ハ)同年五月三十一日金五千円、三、使用者は本件解決後早急に申立人を再雇用すること、四、申立人は本件申立を本日取下げることの四つの条項から成るものであつて、会社が前記解雇の意思表示を取消し申請人が救済申立を取下げたことは当時者間に争いがない。

二、申請人は第一次的には会社を退職したことは一度もなく、単に就労しない雇用状態が続いていて会社としては昭和三十年六月以降は申請人に対し就労を伴う雇用状態に復元しなければならないものであり、第二次的に仮りに一旦退職したとしても、同月以降は当然原職に復帰するものであると主張し、会社はこれを争い、右協定による再雇用については当事者双方の協議にまつことを取決めたに過ぎないと主張するので、まず右協定書作成により当時者間に真実どのような合意がなされたかについて判断する。そしてこの点の判断については単に協定書の文言のみならず協定書作成に至る経緯等を合せ勘案し客観的に考慮すべきであるこというまでもない。

成立に争いのない甲第一号証、神前重治郎、田中一雄(一部)、小野木常の各証言及び申請人並に会社代表者田中安治(一部)各本人尋問の結果を綜合すれば次の事実が認められる。

前叙申請人の提訴に係る不当労働行為救済申立事件につき大阪地方労働委員会では小野木常公益委員が事件を担当調査し三、四回に旦つて審問が行われ、同委員は漸次会社の申請人に対する解雇が不当労働行為に該当するとの心証をもつに至つたが、他方当該事件の解決方法としては当事者間の話合いによることも望ましいと考え双方に話合を勧めた。ところが申請人及び申請人等が中心となつて会社従業員により結成していた組合の上部団体である大阪自動者運輸労働組合は、さきに申請人等の結成した下部組合が申請人の前叙解雇通告にあい、その後事実上潰滅したような事情もあつて、右解雇は不当労働行為であるとの確信を有していたため、解雇取消即時原職復帰を強硬に主張し、会社亦申請人の復職拒否を固執して互に譲らず容易に妥結しなかつたが、申請人等の強い復職要求に加え小野木委員亦復職認容方を極力説きすすめるにつれて、会社代表取締役田中安治及びその実弟田中一雄(配車係)等会社側としては、会社側の面子や申請人と会社並にその他の従業員との間の感情を緩和する必要もあつて申請人を今直ぐ会社に復帰させることは困るということであつたので、小野木委員は双方の主張要望を勘案した結果、相当の冷却期間をおいて申請人を復職させる基本方針を打出し、その冷却期間としては申請人が解雇通告後職場を離れてから大体六ケ月が相当であり、その代りその間の申請人の生活保障として申請人が従来会社から支給されていた実質賃金を確保する趣旨の下に申請人の得る失業保険金を考慮しこれと実質賃金との大体の差額金三万円を会社に支払わせるのが妥当であるとして前記協定書原案を作成し関係者にその趣旨を説明した。かくて昭和三十年三月二十八日大阪地方労働委員会において関係者(申請人側―申請人、大阪自動車運輸労働組合の組合書記長神前重治郎、同組合南運送支部書記長二ツ石勝太郎、会社側―代表取締役田中安治及び実弟の田中一雄等)立会の上協定書に調印することになつたが、右調印前田中安治は申請人を階下喫茶食堂に誘い、申請人に対し「後のことは自分に任せて此の際兎に角手を引いてくれ、気持が落着いてから一緒にやるから時々会社えも顏を出してくれ」「わしも男だ、絶対に嘘をつかぬ、安心してやつてくれ」等と言つて再雇用を約して右協定書の調印妥結方を懇請したので申請人もこれを諒とした。このようにして申請人は当初協定書原案の円満退職の条項は困るとの意見を持つていたが、小野木委員から解雇通告の効力について判断するわけでないから解雇取消円満退職、再雇用の形をとるのであり、三万円の支払いが終る昭和三十年五月三十一日頃には復職就労できるのだとの説明並に田中社長の前記確約によつて一旦退職することを納得し、ここに双方調印、甲第一号証の協定書が作成されたものである。前記甲第一号証の協定書とこれに至る叙上の経緯並に証人小野木常、神前重治郎の各証言及び申請人本人の供述に徴すると、右協定は一方において会社は昭和二十九年十二月二日申請人に対してなした解雇の意思表示を取消し申請人は右同日をもつて会社を円満退職したこととして右解雇の意思表示の効力に関する当事者間の紛争を打切り解決し且つ申請人が協定後直ちに復職することを阻むことによつて会社側の面子を保持するとともに、他方においてその代り申請人の退職中も従前の実質賃金を確保する趣旨の下に失業保険金に加えて会社が申請人に対し金三万円の分割支払を約して申請人の生活保障に遺漏なきを期すると同時に「本件解決後早急に」申請人を「再雇用」することを約定して申請人の原職復帰の主張と要望を取り入れたものである。そして右再雇用の条項に即して考えるとき、そこにいう「本件解決」とは右協定成立による不当労働行為申立事件の紛争解決を意味すること明かであり、又「早急に」とは「できるだけ速かに」或いは「できるだけ早い機会に」という文意であるから、右再雇用の条項は右協定成立後「できるだけ速かに」「できるだけ早い機会に」申請人を再雇用する義務を会社が負う趣旨といわなければならない。言葉をかえていえば、再雇用の効力発生を不確定期限の到来にかからしめる不確定期限附再雇用契約が成立したものといわなければならない。しかもこのような不確定期限が採られるに至つたのは、申請人が協定成立と同時又は協定成立後直ちに復職することになると会社側の面子や従業員間の感情を解きほぐす上から困るというにあつた。しかしこのような趣旨の冷却期間のもつ意味からすれば、申請人が解雇通告後職場を離れて大体六ケ月(協定成立後約二ケ月)も経過すれば冷却期間として相当と考えられるのみならず、申請人は円満退職を協定したとはいえ幾何かの退職金も支給されず更に申請人の退職中と雖もその生活保障として従前の実質賃金を確保する趣旨の下に前記三万円の分割支払が約定された事実に結びつけてこれと再雇用の条項とを統一的に考えると、右再雇用の約定は不確定期限とはいい乍ら、遅くとも前記三万円の分割支払の最終期である昭和三十年五月三十一日の経過と共に期限到来し、少くとも従前(解雇当時)と同一労働条件による再雇用契約の効力が発生するものといわねばならない。右協定の再雇用条項はこのような趣旨に出たものと解するが相当である。申請人は一度も退職したことがないとの申請人の第一次の主張は認められないし、又右再雇用の条項は再雇用するかどうかについて後日当事者双方の協議にまつ趣旨に過ぎないとする被申請人の主張については、これに副う証人田中一雄の証言及び会社代表者田中安治の供述部分は前記認定の経過に照して信用し難いし、他にこれを認めるに足る証拠もない。このようなわけで本件再雇用契約は遅くとも右三万円の最終支払期の経過と共に期限到来によりその効力を生じ、申請人は昭和三十年六月一日以降は少くとも従前と同一労働条件により会社の従業員たる地位を取得したものというべきである。そして申請人の従前の賃金月額が少くとも金一万二千円に達していたことは証人田中一雄の証言並に申請人本人の供述により認められ、会社が故意に申請人の再雇用を拒否していることは、会社代表者田中安治の供述により認められるから、申請人は会社に対し昭和三十年六月一日以降少くとも月額一万二千円の賃金債権を有するわけである。

会社は申請人の復職は真実就労の意思なく会社の業務攪乱の目的を以てなされるものであると主張するけれども、これを認める何等の証拠もなく、申請人本人尋問の結果によれば申請人は昭和三十年八月中頃から翌三十一年三月末頃まで昭和貨物運輸株式会社に、その後自動車運転手として千代美産業株式会社にそれぞれ就職し、現に従前会社に荷扱手として勤務していた当時に比しその職種賃金においてこれを多少上廻る労働条件を享受していることが明らかであるが、同時にまたこれは会社が不当に復職させず賃金の支払いもしないため大阪地方労働委員会に問い合せた上臨時暫定的に就職しているもので依然会社復職の意思を抛棄していないことが認められるから、会社の右主張は理由がない。

三、次に本件仮処分の必要性について判断する。そもそも労働者がいわれなく従業員としての地位を否認されることはかりに収入途絶による生活危難という点を度外視しても、そのことにより当該従業員のうける有形無形の不利益苦痛が甚大であることは容易に推認できるから、申請人が生活維持のため一時の方便として昭和三十年八月中頃以後他に就職し現に従前会社勤務当時より好条件で勤めているからといつて、依然として会社復帰の気持を有する以上、この一事をもつて地位保全に関する本件仮処分の必要性がないとはいえない。更に金銭給付の点については昭和三十年六月以降同三十一年三月までの間少からざる生活不安にさらされていたことが窺われるのであつて、その後昭和三十一年四月ごろから前記千代美産業株式会社に就職しその職種賃金において会社勤務当時より恵まれた労働条件下にあることをも考慮し昭和三十年六月一日以降既に履行期の到来している賃金債権中金拾万円の限度において支払いを命ずるのを相当と思料する。

四、よつて申請人の本件仮処分申請中右の限度において正当として保証をたてさせないでこれを認容し、その余は失当として却下し訴訟費用につき民事訴訟法第九十二条第九十五条を適用して会社に全部負担させることとし主文のとおり判決する。

(裁判官 木下忠良 黒川正昭 神保修蔵)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例